他人は、自分を知るための存在

私はよく他人と自分を比べては、自分の出来ないところばかり見つけていました。
そして、勝手に落ち込み、勝手に自己嫌悪に陥る。

私に限らず、きっとこうなってしまう人は多いと思います。
そこには、他人と比べるようなことばかりしてきた日本の教育にも原因がある気がします。

小学校の頃、周りの人ができるのに、自分だけなぜか上手くできない…
ということがあり、先生もそれを受け入れるというより、「なぜできないの?」という感じだったのを覚えています。子供心ながらに、とても冷たく感じました。

そこから、何となく「同じようにできないこと=ダメ」という思い込みが始まったのかもしれません。

でも、他人は自分と比べて自己嫌悪になるために存在するわけではありません。
この意味がやっと腑に落とせたのは、数年前。そこから少し他人と接することに、違う価値を見出せるようになりました。

では、他人は何のために存在しているのか?
それは、「自分を認識するため、知るため」です。

もしも、地球上に自分しか存在しなかったら、どうでしょう?
誰もいなくて気楽で、やりたい放題!は嬉しいのですが、そもそも自分は何なのかということすらわからないと思いませんか?
自分が人間ということすらも認識できないかもしれません。
だって、他に人間がいないのですから。

他人と接し、他人を知ることで、「自分はこういう人間」ということを知れるのです。

私が、HSPだと認識できたのも、「何か他人と違うかも…」と思ったからです。
他人がいなければ、きっと気がつけなかったこと。

そうやって、他人との違いを見つけることで、「自分の出来ない部分を見つける」のではなく、「自分を知る」。
見つけた違いに良し悪しをつけるのではなく、「自分はこういう人間なんだ」と受け入れる。
そうすると、自分の気質や特性がだんだん見えてくるのです。
客観的に自分の気質や特性を認識できてきます。

そうすれば、そこから自分にはどんなことが得意な人なのか。
そんなことも見えてくると思います。

実は、他人が一番の自己分析ツールなのかもしれません。
本人が気が付いていないことが、他人からは「とてもわかりやすい特徴」として見えることもあります。

私を含め、他人と接することに苦手意識がある人こそ、気がつけることが多いような気がします。
こういう視点で他人との関係を見ていくと、新たな自分を発見できると思います。