周りをフカンして見る

仕事での話なのですが、先日、ある方が作った指示書を見ました。
開発者が作ったものに対して、修正を指示するものだったのですね。
そこに書いてある内容が、「ここをこうしてください」という内容だけでなく、「こうで、ああで、こうだから、こうしてください」と何故そうなのか事細かに理由まで書いてありました。

一見すごいように見えますが、私はこの文面から相手の心境が見えてしまい、ちょっと辛くなりました。

文章から相手の様子やエネルギーを受取ってしまう方の場合、何となくわかるかもしれません。
「私は、こんなことまで知っているんです!」「私できるんです!」
と主張しているのが、見えてきました。

今っぽく言うと「承認欲求」というもの。
他人に認めてもらいたい。

でも、その裏に隠れているのは、「自分が自分をできると認めていない」。
それを一生懸命、外に求めてしまう。

共感力の高い人だと、ちょっとツライタイプです。
ちょっとイヤな言い方かもしれませんが、「エネルギーバンパイア」の傾向にあります。

そして、私はその人を見ていると、やたらモヤモヤするんですね。
何だろう…と思っていたのですが、同じことを私もやっていました(笑)

そう、自分もやっていたことがあるから、余計気持ちがわかってしまうのだと思います。

でも、そうわかったら、「あぁ、そんなときもあるよね」って思えるんです。
その人のペースに飲まれるのではなく、一歩引いて俯瞰できるようになある。

そうなると、その人から受け取っていた重たいエネルギーもあまり感じなくなる。
少し距離を置くという感じなんでしょうか。

その人は、本当はそんなことしなくても、みんな認めているし大丈夫なのです。
でも、「認められていない」と自分で思い込んでしまっている。
そういう世界を自分で創ってしまっているんです。
そこに気がつけるととてもラクになれるんですけどね。
それを知るためにも、その人にはその経験が必要なのかもしれません。

他にも周りの人を見ていると、「あぁ、そういう時期あるよね」という目線で見れるようになってきました。
自分よりも年下の方が多いこともあるのかもしれません。

周りのペースに飲み込まれず、自分のペースで在ること、少し俯瞰して大きく見ること。
そうすると、相手に影響されにくくなるような気がします。

でも、周りを見ていて思うのは、みんな一生懸命なんです。きっと。
自分も周りに迷惑かけながら、色々経験してきました。
今考えると、それを何も言わず手助けしてくれていた人達もいる。
その時その時、自分は自分なりに一生懸命やっていた気がするんですよね。

だから、周りの人のことも大きく見れるようになりたいなと最近は思います。
なかなか、懐を大きくするのは難しいけれど…

仕事は、何をするか・出来るかも大事だけれど、私はそこに在る・存在するだけでも本当はいいのではないかとも思います。
なかなか難しいけれど…。