いい加減、自分の本心からの選択をしよう

朝散歩に行ったら、タヌキに遭遇しました(笑)初めてです。
近くには太い国道が走っています。
事故にあったりしなければいいな…と少し心配になりましたが、
こんな住宅街でも自然と共に暮らしている生き物が身近にいるんですね。

最近、ちょっと感じていることがあります。
それは、「いい加減、自分の本心・本音からの選択をする」ということ。

相手の反応が恐くて、自分の本心を出さない、本心からの選択をしない。
これは、もういい加減やめたほうがいい。
これをやり続けることは、実はお互いのためにならないです。

「こうすべき、ああすべき」はもちろん、「相手のため、こうした方が相手が喜ぶ」それすらも自分の思い込みであることが多い。
相手は、そんなこと本当は全然望んでいなかったりするのです。
相手に聞いていない、相手から言われていないことに関しては、すべて自分の思い込み・妄想です。

相手の顔色、反応ばかり気にして、自分の本心・本音を出せない。
それを続けている限り、自分を幸せにすることはできません。

私は、数年前にアドラーの「嫌われる勇気」という本を読んで、「あ、もういいや」となりました。単純なヤツです。

自分の選択、言動が「相手に嫌われないための選択」になっていることが多いと気がついたのです。
そこから、会社でも本音を出しまくるようになりました。
「これはイヤだ、ああしたい、こうしたい…」ワガママなやつだと思われたかもしれません。
でも、結果的にみんなに愛されました。素直なやつだと思われたのかもしれません。
おかげで、居心地のいい場所も作ることもできました。

「嫌われるのが恐い」という思いから相手の顔色を伺うような選択をしてしまうのだと思いますが、よく考えてください。

その嫌われたら恐いと思う人に嫌われた場合、「何か困りますか?」

まぁ、少しぎくしゃくしたりするかもしれませんが、「死ぬことはない」です(笑)
極端な考え方ですが、私は勇気が出ないとき、こう考えます。

「最悪な事態になった場合、自分は死ぬのか?」

大体のことは、死ぬことはないと思います。
そう考えられると、実は自分が気にしていることは、すごく小さなことで、大したことじゃないなと思えるのです。

視野を広げる。

人は、ある特定のことが気になりだすと、そこだけを見てしまう。
そうなったら、無理にでも一回視野を広げて大きく見てみる。
そうすると、とっても小さな世界に入り込んでいたなと思えると思うのです。

この世の中で、本当に守らなくてはいけないのは、法律くらいです。
これは、みんなが気持ち良く過ごすための最低限のルール。
でも、それ以外は、すべて「~すべき、~あるべき」という自分の思い込みだったり、妄想の檻です。

その思い込みに従っていることが、本当に自分の本心からの選択ですか?
はたまた、本当に相手が喜ぶことですか?

相手のため…、相手が喜ぶから…
も実は妄想、思い込みの可能性があります。

長くなるので、それはまた今度。