自分軸からの選択は、どれも正解

昨日の記事「自己分析や占いは、絶対ではない」で少し書いた「選択はどれも正解」というこことについて。

私もしかりなのですが、そもそも「なぜ自分のことを知りたい」と思っているのか?

占いをしてみたり、自己分析を色々としている動機は何なのだろう…とフト思ったのです。

私の場合は、「他の人と私は何か違う…」という違和感が強くなり、どうやら私にとっての普通が他の人にとっては普通ではないのかもしれない…思ったこと。
その違和感が何なのか、それを調べ始めたのがきっかけだった気がします。

そこから、自分には自分の特性・資質があるということがわかってきた。
では、それを最大限に活かすにはどうしたらいいか…と繋がっていきました。

そう考えていったときに、あれ?と気がついがことがありました。
「自分を最大限に活かすために、最善の選択をしたい」というもの。

何かおかしいのに気がつきましたか?

「最善の選択をしたいから情報を集める」これはいいのです。
でも、いつまで、どこまで情報を集めれば最善の選択ができるのでしょう?

はっきり言って、情報集めはキリがないです。
でも、そればかりやっていたら、単なる頭でっかちです。
そして、情報を集めたからと言って、最善の選択ができるとは限らない。
場合によっては、情報や知識がないほうがいいこともあります。

一見、それらしい理由ですが、完全に執着になっているんです。
そして、その裏にあるのは「失敗したくない、選択を誤りたくない」というような気持ちがチラっと見えました。

そもそも、「自分の選択に失敗なんてない」のです。

今までのことを少し振り返ってみるとわかると思うのですが、
過去に上手くいかなかったこと、イヤな経験は、失敗だとは思っていないと思うのです。
むしろ、それがあったから今があるし、そこから高く飛べたこともある。

「その経験が、その人にとっては必要だったから起きたこと」

何のために必要だったのか?
その経験こそが、自分を知るためであり、自分が成長するために起きることなんです。

なので、自分の選択や経験することに絶対失敗はない。
すべてのことには、ちゃんと意味がある。

その選択は、もしかしたら遠回りになるかもしれない。
だとしても、必ず意味のある経験なのです。

そして、私の本当の目的は、「最善の選択をすること」ではないということを思い出しました。
「自分を生きたい」
そうそう、そうでした。すっかり情報集めに夢中になっていたんですよね。
そうなると、もう情報集めはいらないのです。

他人軸からではなく、自分軸からの選択をする。
自分に正直な選択をすること。
これが自分のとって最善の選択であり、自分を生きれる最善の方法だと思います。