不自由と自由は、紙一重

最近、「あ、そういうことか…」と腑に落ちたことがありました。
「自由」というものをとても勘違いしていたなと思います。
この気づきによって、自分が勝手作っていた呪縛から解かれたような解放感がありました。

「自由」
という言葉を聞くとどんなことを思い浮かべますか?

「私はこうしたい、あれをしたい」
という、一見好きにモノゴトを選択できていることが「自由」と思われがちです。

確かに、「選択できる自由」という意味では間違ってはいないと思います。
でも、「選択したもの」に固執・執着してしまうと少し話が違ってくるな…と思うのです。

「〇〇をしたい」「こうなりたい」
という目標というか、願望というか…こういうものを持つことは悪いとは思わないし、ある程度はあったほうがいいと思います。

でも、それに執着しすぎると、段々と「こうしなくちゃ」「こうならなくちゃ」に変わっていくんです。

私の場合は、「フリーランスで働きたい」「Webの仕事で稼ぎたい」「月〇〇円稼ぎたい」…とまぁ、仕事のことばかり「こうしたい」「こうなりたい」が渦巻いていたのです。

変えたければ、今までと違う選択をする」にも書きましたが、何となく流れに流され、その仕事に関する執着を知らないうちに手放していました。

そこで、「あ、自分の望み=執着にもなりうるのか…」とわかりました。

自分の「望み」と思っていたことが、実は自分を「不自由」にしていた。
「自由」だと思って選択していたことが、逆に自分を苦しめていた。
言っている意味、わかりますかね…?

度を過ぎると、執着になってしまう。
目標だったり、望みというものも、ほどほどに持っておく。

そして、この「自由」にも陰陽がちゃんとあるということ。
何かに依存すること、執着することは安定がある代わりに不自由にもなる。
自分はどの程度の自由さと安定が心地よいのか。
そのバランスを知らないと、自分にとっての「理想の自由」は見つからないのかもしれません。
自由の定義も人それぞれなんだと思います。

自分の望みは、「大きな方向性だけ決める」これが程よい感じがしています。
10年後・20年後、どんなライフスタイルをしていたいですか?
どんなことを、どんなペースで、どんな環境でやっていたいですか?
それくらいのざっくりしたものを持っておけば十分なのです。

そこまでのプロセスは考えない。
そこは流れに任せて、プロセスを楽しむ。
それくらい、余裕を持っていきたいなと思います。


”誰かに話しを聞いてほしい””何となく誰かと繋がりたい”
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