行動できないなら、本当にやりたいことではない

今回は、ちょっと毒を吐きそうなので…何となく読みたくないなぁと思う方は、読まないでくださいね。

昨日まで違う内容を書こうと思ってメモをしていたのですが、さっきからどうしても出てくることがあるので書いてみます。

私は、その人の本音とは「行動」に出ると思っています。

行動を起こすってとてもエネルギーがいることですよね。
重い腰がなかなかあがらない…ってあると思うのです。
それって、「必要」とか「やらないとヤバイ!」と思わないとなかなかやらない。

で、これは「やりたい」も私は一緒だと思っています。
口では何とでも言えるのです。

でも、いっこうに行動に移さない場合、私は「本気じゃないな」と思います。

時間がない…お金がない…コロナだから…
「やらない理由」はいくらでも見つけられます。

でもね、私の経験上、そんなもんどうにでもなるんですよ。
「ない」という前に「ある」を見つけようとしましたか?

「今できることは何だろう?」
そう考えてみましたか?
何か工夫してみましたか?

行動は、大きなことである必要はないのです。
何かしようと思うと、すぐに大きなことをやろうとしたり、完璧にやろうとする。

大きなことをするには、時間もお金も必要かもしれません。
でも、今できそうな小さなことであれば、時間もお金もそんなにかからないはずです。

その小さなことすらやらない、できないのに、大きなことなんてできない。
「今」にしっかり意識をおくこと。目の前の現実をしっかり見て、受け止めること。

限りのある中で、いかに工夫して最善を尽くすか。

「人事を尽くして天命を待つ」
私は、この言葉が好きなのですが、自分で出来るところまではやってみる。
やってみたら、あとはもう神様、自然の流れに任せていいと思うのです。
なので、そもそも「自分がやれることをやらない」は論外です。
ちゃんと自分のお役目は果たしてください。

そして、限りある中でも「時間」は作れるものです。
なので、私の中では「時間がない」は理由にしません。
1日5分、10分すらその「やりたいこと」に時間が割けませんか?
毎日が難しいなら、1週間にまとめて1時間にするとか、やりやすい方法でいいと思うのです。
もし、それすらも出来ないというのであれば、そもそも時間の使い方、やるべきことを見直してみる必要があるかもしれません。

誤解をしないでほしいのが、決して「無理をしろ」とか「根性論」を言っているのではないのです。
「工夫」してみてください。
自分の頭「思考」を使ってください。ということ。
「思考」はこいうときにフル活用するものです。

「不自由の中の自由」を見つける。
この「自由」を見つけられるかが大事だし、見つけられればどんどん楽しくなると思いますよ。