「言葉が出てくる場所」ってあるんですよ。
とても感覚的なことなので、???って話かもしれませんが。
思考から出てくる言葉(考えて発せられた言葉)ではなく、自然と出てくる言葉。
「腹から出てくる」というと、私は感覚に近いような感じがします。
よく「言葉が降ってくる」という言い方を聞くのですが、「降る」という感覚がちょっとピンとこないです。ワタシ的には。
腹から出るのほうが近い。上からじゃなくて下から。
この「言葉を腹から出す」ということを意図的にやるには、どうすればいいか?
そもそもできるのか?
という他人にとってはどうでもいいような実験・観察を最近一人でやっています。
なぜそんな実験をやっているのか。
一つは、仕事のため。
ちょうど今、仕事で自社サービスのヘルプサイトを立ち上げていて、毎日ひたすら文章を書いています。否応なしに文章を書くことに向き合わされています。そこに活用したい。
最初はイヤでしたけど「あ~これやれってことね。」と理解したので、今は楽しくなってきました。UXという視点でもめちゃくちゃ大事です。
ヘルプサイトは、1つ1つのページを見るだけだと、とても簡単なように見えますが、全体の情報設計が難しい。仕事の話は、noteに軽く書いていますのでそちらをどうぞ。
二つ目は、人の心を動かす文章を書くため。
このためには、この「腹から言葉を出す」ということが必須だと思っています。
というか、上辺だけの言葉では人の心は動かない、届かない。
昨日紹介した本にも、そのヒントが書いてありました。
この言葉は「クリエイターゾーン」に入らないと出てこない。
思考で考えて出した言葉ではダメなのです。
それを意図的にできるのか?
自分が文章を書いている時を観察してみると、頭で言葉を考えるというより、「言葉が出てくるのを待つ」という感覚がどうやらあるらしい。
ということはわかりました。
私は文章を書くとき、文と文の合間になぜかボーっとしてる時間があるのですよね。
そのボーっとしている間に、私は頭で考えているのだと思っていました。
よく観察してみたら、何か言葉は頭の中でもごもご言っているのです。
でも、次何て書こうとかはあまり意識にない。
どうやら、あまり頭は使っていない。
どちらかというと、言葉が出てくるのを「待っている」感じがします。
だからか~と思ったのですが、とてもラクなんですよね。
自分は一生懸命考えなくても勝手に出てくるので、それをPCでタイプするだけ。
という感覚は、皆さんあるもの何でしょうか?
自分の感覚が他人にとっては、当たり前ではないことを知ると、他人はどうなんたろう?ってちょっと思ってしまいます。
果たして、この状態が「クリエイターゾーン」なのか否かはわからないですが、もう少し実験・観察を続けるつもりです。
このブログも実は、書くこと(アウトプット)を通して、自分の感じていること・考えていることを「言語化」する練習だと思っています。
あとは、「解像度をあげること」も目的の一つ。
アウトプットしないと、自分は理解できていると思っていることが、意外と理解出来ていなかったりする。
インプットしたものは出す。そうやって何事も循環させていくといいのかもしれません。