今日は、ちょっとぶっとんだ話です。
自分の中でまだ言語化しきれていないので、まとまりがない文章だと思います。
タイトルの「1人1宇宙論」
この概念を何か読んで、フンワリとそうなのか~くらいにしか理解できていなかった。
何の概念かというと、この世界の概念。
1人1つ宇宙が存在する。という概念。何を言ってるの?という話だと思いますが。
1人1人別の宇宙が存在している。
なので、人の数だけ別の宇宙が存在している。
その概念を昨日たまたま読んだ本でも書いてあり、「そういうことか…」と頭でやっと理解できた。
でも、言語化するまでまた落とし込めていないので、まとまりのない文章になりそうです。
これをもっと明確にし、感覚まで落とし込むのは、少し訓練が必要そうです。
読んだ本というのが、「光の中のマインドフルネス: 悲しみの存在しない場所へ」という本。
私の本棚にも登録しました。
この本は、実は自分で読むつもりではなく、母に「良さそうな本あるよ」と勧めた本でした。
「見える世界に振り回される必要はない」というような概念を何となく母に伝えたくなったのです。
でも、年をとればとるほど、新しいことは受け入れがたくなる。
そこで、仏教由来の本であれば、新しい概念も抵抗なく受け入れられるかもしれないなという発想から、たまたま知ったこの本を勧めてみたわけです。
図書館好きな母は、「図書館にあるかな?見てみる」と言うので、だったら買ってみるよ。
というところから私の手元にきました。
せっかくだし、ちょっと読んでみたところ、最初に出てきたのがこの概念。
言い方はもっと仏教っぽいので、全然違うのですが、言っていることは同じ。
上手くこの概念は説明できないのですが、「マトリックスの世界」これが一番わかりやすい気がします。
マトリックスは、あの映画のマトリックスです。
量子力学でも例えとして、使われることもあるので、わかりやすかった。
要は、目に見えているものはすべて幻想。自分の意識が作り出しているものである。
そもそも自分の意識とは、何なのか?
心だと思う人もいると思うのですが、心は感情であって意識ではない。
脳は、思考であって意識ではない。
では、自分の意識はどこにあるのか?
この現実世界に目に見えるものとしては存在しない。
もしくは、この現実世界には存在しない。のほうが適切かもしれない。
自分が認識できている世界よりも外にある。というか、別次元にあるという方が適切なのか。
その意識が、自分の目に見えている現実世界を創り出している。
創造主と言われるのはここからきている。
そこで思い出したのが、小学生の頃、これに似たようなことを考えていた。
「私はなぜ私なのだろう?」
どうして、そんなことを考えていたのか。おそらく、当時の自分が置かれた状況がイヤだったのでしょう。
他の人になれたらラクなのにと思ったのかもしれません。
でも、他の人の意識にはなれないし、私は私の意識でしかない。
私から見た現実世界しか見れない。逆に言えば、私が見ていない世界は、何が起きているか認識できない。
もしかしたら、私が見ていない間、存在していると思っている人達が実は存在しないのではないか?もしかしたら、宇宙人が人間の着ぐるみ着てるのかも…それを知らないのは私だけ?!
そんなことを思っている時期があった。妄想ハンパない、変な子供です。
でも、なぜそんなことが頭に浮かんだのか、自分でもわからなかった。
とにかく、インパクトがあったため今でも覚えています。
でも、この概念から考えるとあながちそれは間違っていなかった。
私が認識しないものは存在していない。
これは、今や科学的にも根拠がある話。すべてのモノはエネルギー体である。
やはりうまく言語化できませんでした…
頭の中ではつながっているのですが、その解像度をもっとあげないとダメですね。
日々、実験・研究です。