やりたいのか、共感してほしいのか

ふと、ちょっと意識しないと混同してしまうかも…と思ったこと。

自分が”やりたい”と思うことと、
単に”他人に共感してほしい”ということ。

この2つ、意外と自分の中でごっちゃになるのかもしれない。

“他人に共感してほしい”
を自分の”やりたいこと”にマルっと一括りにしてしまうというか。

他人からの共感は、SNSのいいね!とかに近い部分もあるのだけど、
承認欲求、他人からの評価・反応。
それに対して、自分のやりたいは他人の反応など関係ない。
単純に自分がやりたいからやるというもの。

でも、何か自分で行動を起こすと、もれなく他人の反応や評価がついてくる。
なので、気がつくとそっちに気がとられてしまっている感じがする。

そうすると、いつの間にか他人の反応を気にして行動しようとしている自分がいたりする。
人間として当たり前の行動・反応だとは思うのだけど、自分の”やりたい”に集中し続けるって難しいなぁなんて思った。

例えば、私がこのブログを書くのは、

“自分が日々想ったり感じたことを単に書きたい”
そして、それがもし”誰かのヒントや助け”になったなら最高だな!というもの。

自分の中のwant to 〜したいからやっていること。

それに対して、読んでくださった方が反応してくれたりする。
そうすると、”その反応に対して何かしよう”とか、”もっと反応がほしいからこうしてみよう”とか、
そういう視点にすり替わっていく。

そうすると、いつの間にか”相手に共感を求める”ような感覚になっていく。
そうすると、だんだんと自分が違和感を感じる。
“自分のやりたい”からズレ始めるから。

それが”いい悪い”というジャッジではなく、そうやって自分の視点が無意識に変わっていくんだな…
というどうでもいいかもしれないような気づき(笑)

反応をいただけることは、本当に嬉しい。
けれど、共感されたいからやるワケではなく、ただただ”私という人間を綴っていく”という視点からはブレずにいたいなと思ったりしました。

そして、共感と感情?同情?は別だと私は思っています。
ここも混同しがちかなという気がしていて。
この共感と同情を区別する、使い分けられるようになると自分軸は保ちやすい感じがしています。
特に共感力の高い方、HSP気質の方は少し意識できると、他人と自分の境界線を保ちやすくなるかもしれません。
その話はまたの機会に。