「我」と「肚からの声」は違う

今日・明日は、台風の影響で雨が強くなりそうですね。
大きな被害が出ないといいです。

昨日、美容院へ行きました。
本当は今日行く予約をしていたのですが、お天気が悪そうなので、急遽変更しました。
直近だといつも予約が取れないのですが、昨日は珍しく空いている時間があり、スルっと変更できました。

そして、美容院に行って髪を切ってもらっていると「シャインマスカット食べたいんだけど」と出てきました。
そして、その声はだんだん大きくなり…帰る頃には、買って帰ることが必須になっていたので、家の近くのスーパーで買って帰ることにしました。

シャインマスカットって1房1000円以上しますよね。
少量でいいから、小分けのものを買おうと思っていたわけです。

でも、スーパーへ行ってみたら1房単位でしか売っていない…
すかさず思考が「そんなにいっぱいいらないし、1,200円もするんだけど。隣の580円の巨峰でもいいんじゃない?」と言ってくるわけです。

でも、そこを譲らないのが「魂の声」ですよ。
そこを妥協したらどんなにガッカリするか知っているので、迷わず1房買いました。
そして、サラダに入れたいというので、サラダに入れてあげました。
まぁ、ご満悦です(笑)

こんなことをやっていて、あることに気がつきました。
「我」とこの「魂の声」って似て非なるもの。

「シャインマスカット食べたい」なんて、単なる我に見えますよね。
でも、私の中では感覚が明らかに違うのですよ。
そこで、何が違うのだろう…と探っていました。

そこで出てきた答えが、「言葉の出てくる場所」。

我は、思考ないし感情から出てくる。
私の感覚としては、カラダの上の方から出てきます。

それに対して魂の声とは、「肚/胎(ハラ)」から出てくる。

文章にしてみて、また1つ腑に落ちました。
胎ってハラとも読むのですね。
女性の場合、胎=子宮です。

女性は、子宮の声を大事にしたほうがいいと言います。
その意味がわからなかったのですが、この肚のことなのですね。

肚についてググってみたら、こんな記事も出てきました。
肚で考え、肚で動く
昔の人は、現代人よりもずっと賢く、人というものをわかっていた気がします。
人が頭で考えられることってたかが知れているのですよ。
思考は、今までの経験と知識からしか答えを出すことができないのです。
それを超えた方法を提示してくるのが、肚からの声。

肚から出てくる声は、思考ではないので、実現可能かどうかとか、そのときの状況とか、そんなもの無視してきます。
だから、ときには「えぇーっ!?」という声も出てくる。

でも、それを思考や感情で「違う」「無理」と押し殺してしまうと、一番いいルートからズレてしまう。
自分が行きたい方向へ、必ずしも自分の思い通りのルートでいくとは限らない。
一見、全く関係のないことから繋がったりするのです。
そのルートは、肚が教えてくれる。

そして、今回のような可愛い要望は、叶えてあげるとめっちゃ喜ぶし、至福感はハンパないのですよ。やってよかった~となります。

自分から「こうしたい」という欲求が出てきたとき、その出所を意識してみてください。
何か気がつくことがあるかもしれません。