幸せだったと言えること

とても素敵だなと思えることがありました。

今日は11月末日、今日付で職場の方が退職しました。
みんなの前で一言ご挨拶されたのですが、

この職場で働けて幸せでした

とおっしゃたのです。

私はその言葉を聞いて、すごいな、素敵だな…と素直に思いました。

私は職場を転々としてきたので、こういった挨拶をする機会も何回かありました。
でも、”幸せでした”ということは言えたことがないな…と思ったのです。

人ってどこか

“今、幸せである”

ということを認めることを拒んでいるような気がします。
それは、認めてしまうことで、”今の自分に満足してしまう”ということにも繋がるし、
上を目指すことを良しとしてきた”無意識に擦り込まれてきた価値観”のようなものが邪魔をしているようにも思います。

それを素直に”幸せでした”と認め言葉にできることに、とても人としての魅力を感じましたし、
気持ちがとてもストレートに伝わってきて、涙が出そうになりました。

人は、本当は”今、自分は幸せだ”と自分が認められれば、誰でもすぐに”幸せ”になることはできる。

そこに”これを得ないと幸せではない”、”これが出来ないと幸せではない”と自分で条件付けをし、
自分で自分を不幸せにしているのも他の誰でもない自分。

当たり前と思えることの中の幸せに気づき、感謝ができること。
何かを成せたから幸せ、何かを得たから幸せ、ではない。

そこにあるのは、生きることへの感謝・生かされていることへの感謝、与えられていることへの感謝。
綺麗ゴトではなく、それを本当に実感できたとき、腑に落とせたとき、本当に幸せだと思える。

エゴからの幸せを追いかけていては、いつになっても幸せは訪れない。

そして、人は生きていることと紙一重に存在する”死”というもの。
人はいつ死んでもおかしくないというのも事実。
でも、毎日生きている、生かされているということも事実。

この物質世界では、すべてのことが一時のことであり、永遠はない。人の命も同じ。
死を意識したときに、自分にとっての”本当の幸せ”というものがより鮮明に見えてくる。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。