目標だとか、大きな夢だとか、そんなものがあると何だかスゴイような、いいような気がしてしまう。”意欲的である自分”にただ自分でOKしたいだけのような気もする。
ないことがむしろダメだと思ってしまったり。
でも、最近私は”ただ毎日生きる”ことそのものに意味がある気がしている。
“何をするか”は実はあんまり意味がないというか…
何をしてもいいし、何を選んでもいい。
でも、生きていることにすでに価値があり、意味がある。
人間なんて、みんな同じような見た目で、同じようなことして、
なんでこんなにいっぱいいるのだろう?
何のためにいるのだろう?とも思ったりする。
そう思うと、何のためにいるかなんて目的はなく、
人は生まれてきたときから、”生かされている”
“生きること”を目的として、生まれてきた。
だから、生きている時点でもう目標は十分に達成できている。
だから、それ以上に何か目標や目的を見つける必要も本当はないのかもしれない。
もちろん、やりたいこと、目標があることもステキだと思う。
でも、なくてもいいのだ。
目標があるかないかなんて、実はとても小さなこと。
ただ、毎日、毎瞬を丁寧に生きる。
自分の五感を使って、色々なことを感じること。
生きていることを”感じる”ことのほうが大事なのかもしれない。
感じること=生きていること
感じることができる=生きている証
なのかもしれない。
死んでしまったら、肉体がなくなってしまったら、五感って無くなってしまうのではないだろうか。
と、フトそんなことを思った。
だとしたら、肉体を持ってこの地球上で生きているうちしか、五感で感じることはできない。
五感を使うことはできない。
五感の鋭さは、辛さしか生まないと思っていたけれど、
そうではなく、その”感じることができる才能”をもっと楽しんでもいいのかもしれない。
才能は自分に与えられた豊かさでもあるのだから。