物理的な自由と、精神的な自由

“自由“というと、時間とか場所とか、そういった目に見える物理的な自由が頭に浮かぶ
し、そういうことを求める人も多いと思います。

私もそう思っていたし、物理的な不自由さが無くなればもっと楽しいのではないか、幸せになれるのではないかと思っていた。

でも、本当は目に見える物理的な自由よりも、
“目に見えない、精神的な自由“の方がずっと大事で、自由感は高いのかなと今は思っています。

であれば、“周りの環境・外的要因はあまり関係ない“ということ。

精神的なものって、その人自身が勝手に作り出しているルールが多い。
要は、自分の内的な部分。
無意識のうちに、学校教育・社会で身につけたもの、家庭環境など過去の経験から作られているものもたくさんある。

しかも、もう当たり前すぎて、ルールだとさえ気がついていないことが大半だと思う。

それに自分で少しづつ気がつき、不要なものは取り払っていく。
そんなことをやっていくと、身軽になっていける。

そして、自分が作り上げたルールに気がつくには、他人と接することもヒントになる。
自分の当たり前が、その人にとっては当たり前ではないことがたくさんあるからだ。

特に、自分と違った環境にいる人、違った世界観を持った人と接すると、それが如実にわかると思う。

私は、会社を辞めてからのこの3年弱の間、本当にたくさんの人に出会った。
それは、会社を辞めなければ出会えなかった人達。
私の生きている世界と全く違った世界に生きている人達もいる。

そういう人達に出会えただけで、充分価値がある時間になった。
すごくありきたりなことかもしれないけれど、“違う世界を見てみる“ということは、とても大きなヒントをもらえる。

それに、他人を知ることで“自分の資質・才能“に気づくこともできる。
私は文章を考え・書くことはあまり苦労せずできる。
でも、本当に苦手な人はできないのだ。そんなことも知ることができた。

自分が当たり前にできることが、他人には難しいことって本当にあるのです。

なので、もし自分を知りたい・変えたいと思うのであれば、色々な世界を覗いてみてほしい。
ちょっと怖いなとか、勇気いるなとか思うかもしれないけれど、世界は自分が思っているよりもずっと優しい。

そして、自分の世界観を持って生きている人達って、他人を否定することはない。
他人をちゃんと認めているし、自分自身も認めているからなのかなと思います。