人のイヤな一面が見えてきたとき

すごく好きだったり、共感できる人なのに、ある時から「あれ?」って思うようになることありませんか?

私は、最近そんなことがちょくちょくあります。
お世話になった人だし、とてもいい人だし、尊敬もしていた。
すごく共感できるところも多い人。

でも、ある時、何か違和感を感じるようになり、下心のようなものが見えてきたり、不誠実さが垣間見えて、「こんな人だったっけ?」と思うことがあります。

そうなると、少し距離を置きたくなる。何となく関わりたくないな~とか。
一緒にいる場の空気も合わなくなるので、とても居心地が悪くなる。

一見、何だか相手が変わってしまったように見えて、寂しかったり、がっかりしたりします。
でも、これって「その人からはもう卒業だよ」という意味に私は捉えています。

これも自然な流れで起きることなので、何も心配はいらないのです。
ちょっと寂しかったりもするけど、ご縁があれば、また数年後にお会いしたりすることもあります。

人との関係性は本当に色々あって、1回しか会わなくても、自分にすごい気づきや影響を与えてくれる人もいる。
かと思えば、長年ずっと身近にいてくれて、何かと支えてくれる親友もいる。
面白いパターンは、1年くらい色々お世話になって、また数年後に会って、1年くらいお世話になって…細く長くという方もいます。

どのパターンにしろ、出会う人は、みんなそれぞれ自分に対して何かしら気づきやヒントを与えてくれる「脇役」として登場してくれます。
なので、出番が終わったら舞台からは自然と去っていきます。

でもね、ということは「自分が何かに気づけた、学べた」からその人の出番は終わりになるのです。
自分が成長できたという印でもあるのかなと思います。

これは逆に自分にも当てはまることです。
他人にとっての「自分」はその人の人生に「脇役」として登場します。
そして、相手は何か気づきを得たり、学んでくれるのです。

なので、たまに「とても傷つくことを言ってしまった…」とか思うこともありますよね。
でも、実はそれもその相手にとっては、必要なことで、そこから学ばなければいけないことがあるのだと思います。

だからと言って、じゃあ、自分のすることはすべて正当化できるのかというワケではない。
これは、自分のしたことを「棚にあげる」という意味ではなく、「必要以上に自分を責めることはないよ」というふうに捉えてくださいね。

そして、人は自分が抱えられる「キャパ」が限られています。
なので、新しい出会いを呼び込むには、もう不要になったご縁は先に手放す必要もあるのです。

そう考えると、楽しみになりますよね。
もっと今の自分に合った人が登場してくれるのです。
その人に「出会った頃の自分」、「過去の自分」には合っていた人ですが、「今」の自分にはもう合わなくなっているのです。

なので、「ありがとう」と心の中で感謝しながら、自分の中でしっかり消化していければいいと思います。
消化も無理にしようとせず、自然と消化できるまでそのまま置いておく。
そうすれば、気がついた頃には、スッキリできていると思います。

人との関わりも、自分の変化に合わせて変わっていきます。変わらないものはないです。
ジタバタせず、流れに委ねていけると心地よく過ごしていけると思います。