ここ最近、「0の自分にもどる」という感じがしています。
「0の自分」とは、本当に幼いころの自分の感覚のような感じ。
私は、今や社会で生きる術のようなものを身につけ、それなりにそれっぽく仕事や生活ができています。
それは、元々持っていたものではなく、後付けで社会を生きるなかに学習に身につけてきたもの。
この世界を生きるうえで誰しもが行なってきていることだと思います。
ただ、それを身につけたことによって生まれてくる、「本来の自分」との歪みのようなもの。
それは本当に私が心地よいと思い、望んでいるものなのか。
この社会を生きていると、目の前のことをこなすため、自分の感覚は置き去りにされ、
その感覚すらも麻痺してくるのだと思います。
まだ、この社会を知らない、子供の頃の自分はどんなだったでしょう。
私はとんでもない人見知りで、大勢の人がいる輪の中に入っていけないタイプでした。
恐怖でしかない。
なので、幼稚園に行っても友達はできない、行くことすらが苦痛でした。
ただ、1年くらい経ってば1〜2人の極少数の人とだけは仲良くなることができました。
それは、小学校に行っても同じで低学年の頃まで、ずっとそんな感じでした。
授業中に意見を発するなんて、とてつもない恐怖。
担任の先生も内気なことをあまりよく思っていないタイプの先生だったため、
好きになれず、学校に行くことは嫌いでした。
そこから、私は徐々に人とのコミュニケーションの取り方や、人前に出ることに対しての恐怖を克服したいと思い、苦手をできるようにしていきました。
ただ、それはマイナス→0にした状態。
もともと備わっている能力ではないので、やはりやり続けると自分との間にどんどん歪みが生まれ、ストレスとなっていきます。
そうなると、人は無意識にバランスを取ろうとします。
私の場合は、必要以上にストレスを与えないよう、自分一人の時間を持つことに重きを置きます。
自分にとって「心地よくない」状態になっている状態です。
やはり私は子供の頃に感じていた、
もともと持っている「心地よい」状態とは切ってもきれないのだなと思います。
私は子供頃から一人遊びが大好きで、家で一人お店屋さんを始め、黙々と自分の世界で何か遊んでいる子でした。
人と何かをするより、自分の世界であれこれ妄想しているのが楽しかったのだと思います笑
今も家で黙々と何かを作る、本を読むなどが大好きです。
仕事にしたWebデザインも私にとってはその延長線上です。
それ意外は、一人で好きな音楽を聴きながらウォーキングするそんなことで満たされます。
特別な刺激はいらないのです。
ただ、この気質だからできるコミュニケーションや仕事のやり方というものもあると思っています。
それすらも自分に与えられた才能です。
決して、マイナスなことではないのです。
だから、苦手だからと極端に避けるものまた違うと思うのです。
他人と同じようにやろうとするから辛くなる、
社会で良いとされているやり方に合わせるから無理がでる。
自分ができるやり方、それでいいんです。
無理をしてしまうと、それこそ健康を害します。自分を見失います。
自分にも周りにも何もいいことはないのです。
バランスが崩れている時は、自分を甘やかすことも大事。
私の場合、本当にストレスフルになっていると感じると、仕事を休むこともあります。
1日くらい休んでも仕事は周ります。
そんなところで無理して、自分傷つけても自分も周りも幸せにはならないです。
辛い時は辛いと言う、認める。
決してそれは悪いことではない。誰しもあること。
私は弱音が吐けないタイプです。
口にしてしまうことで、自分が余計辛くなることを知っています。
でも、唯一パートナーだけには吐けるようになりました。
それは、私にとってはとても大きな変化です。
弱くていいと自分に許可をやっと出せたのだと思います。
ずっと「強くなりたい」と思っていましたから笑
もともと強いのに笑
私に必要なのは弱さだったように思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今日も良き一日となりますように。