今、目の前にあることを、ただただ丁寧にこなす

昨日の”祈り“について
1日たって少し言語化できそうな気がするので、断片を。

“生活そのものが祈り”とは、
わかりやすく言えば、”日々の暮らしを丁寧に生きる”という感じが私にはしっくりきました。

みんな時間に追われています。
なんでも時短、効率。
もちろん、技術を使い快適にしていくことも大事です。
でも、すべてそうなってしまっていいのか。

私は、”人が時間をかけて手で作ることの意味”があると思っています。
それこそ”目に見えない価値”です。

スーパーで買ってきた惣菜よりも、そんなに上手でない母の手料理のほうが”美味しい”と感じることがあると思います。
まさにアレだと思います。
パン屋さんにしても、チェーンでやっているようなお店より、個人でやっている小さなお店のほうが私は好きです。

そこには、やはり目には見えない”想い”のようなものが入っていると思うのです。
それが”祈り”というものに近いのかなと。
人が人のために、1つずつ丁寧に作る。
それが、目には見えなくても受け取り手には自然と伝わる。

毎日の生活でルーティンのようにやっていることも、1つ1つ出来る範囲で丁寧にやっていく。
それは、わざわざ手間をかけろということではなく、時間の許す範囲でいいから、”今に意識する”ということでもあるのかなと思いました。

当たり前にやっていることだと、何も考えなくてもできてしまいます。
でも、そうではなく”今やっていること”にちゃんと意識を向けて、こなしていく。
ただ、それだけでいいのだと思います。
というのが、私なりの解釈です。

今日も心地よい一日を。
ありがとうございました。