友人が以前、
お墓は、この世に残された人のためのもの
ということを言っていました。
それを聞いたとき、あんまり興味がなかったので(笑)
ふ〜ん…
程度に流していました。
でも、なぜか頭にずっと残っていたんですよね。
なんでそんなこと言うんだろう?
と感じていたので、印象に残っていました。
その子は、とても家族を大事にする子で、祖母・祖父、父母、妹との話をよく話してくれます。
私からすると、とてもいい関係で、素敵な家だなぁっていつも思います。
去年だったか、祖母が亡くなったという話を聞きました。
かなりショックで落ち込んだようです。
でも、私に伝えた言葉は、そこからの経験、想い・考えから出てきた言葉なんだとすぐにわかりました。
言葉ひとつにも、重みというか、背景のようなものが見えてきます。
そして、時間を経て、今彼女が言っていた言葉が腑に落とされてきました。
物質としての肉体のない”亡くなった方”というのは、目に見えないエネルギー体として存在しています。
本当は肉体を持つ私たち誰しもが、もともとはエネルギー体の存在である。
それが、地球に生まれてきたときに”肉体”という物質を与えられ、見える化しているにすぎない。
物質世界にいる私達だから、目に見えるものに価値を見出す。
でも、そもそも物質の存在しないエネルギー体の世界の方々にとっては、
目に見える行動や結果、物質はあまり意味がない
そうではなく、エネルギーそのものである
心が大事
なので、お墓は物質界にいる私達のために、亡くなった方を見える化させた象徴でしかない。
そこに行き、お参りすることに意義を見出したり、”やっている感”を感じるためのもののような気がする。
だから、本来はお墓はあってもなくてもいいのだと思う。
お墓参りも”その場に行く”ことには実はあまり意味がない。
それよりも、自分の心の中で感謝や伝えたいことを伝えれば、それはちゃんと届くのだ。
そんなことが腑に落ち、友人の言いたかったことが理解できた気がしています。