自分を信じるとは、カタチなきものを信じること

自分を信じる

って、なかなか勇気がいると思うのです。

自分のことなのに、自分で信用できないって…自分に対して失礼だな(笑)と思うのですが。

カラダという一見、”見える化”されているものは、”ワタシ”が入っている入れ物にすぎない。
なので、実はそれは”ワタシ”そのものではない。
カラダという物質にすぎない。

カラダとスピリット(魂)と言うと何となくイメージがつきますかね。
カラダとスピリットは、常に一緒にいるからついつい”同じもの”だと思い込んでしまう。

私について説明をしてみたとしても、”私は女性で、こんな仕事や趣味をしていて…”という事象にしかすぎない。
“ワタシそのもの”の説明ではない。

“ワタシ”から発する感情や思考も見えないもの
“ワタシ”とは本来何もかもが”カタチなきもの”

自分って何も確証がない、見えない存在

目に見えないものを信じるか信じないか。
それはその人の自由。

でも、とすると自分も”なきもの”にしてしまうのかもしれない。
“ワタシ”の存在すら打ち消してしまう。

私は目に見えないもの、カタチなきものを大事にしたい。

目に見えないから信じられない、カタチがないから信じられない。

そうではなく、ただ単に自分が感じたがまま、あるがままが事実なのだと思う。
その感じ方や受け取り方は人それぞれであり、共通した正解などない。

だからこそ、”自分”というものの存在に価値がある。

自分を大事に、感じるがままに生きよう。


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