自分はこうしたい、ああしたい、こうなりたい
そういう”我”は誰しもある
私も3年前にその”我”から会社を飛び出し、あれこれやってみた。
結果的に、今自分はあの時思っていた”ああなりたい” “こうなりたい” と違う方向へ進んだ。
全く自分の思い通りにはいかなかった。想定外ばかりだった。
でも、不思議なものでそれでも、むしろ、その方が幸せだと思える自分になっている。
自分の思い通りになることが、必ずしも自分にとって最善とは限らない。
自分の”こうしたい、ああしたい”という想いをしっかり持つことも大事。
でも、出てくる結果に振り回されないこと。
結果が自分の思った通りでなかったとしても、それをどう受け止め・解釈するかは自分次第。
自分の思いとおりではないと言い、違う違う、これじゃない、あれじゃない…
と自分の思い描くものを探し周り続けるのか。
出てきた結果を受け入れ、その結果を視点を変えて見てみるのか。
与えられたものを視点を変えて見てみると、必ず思ってもみないものが見えてくる。
探し回ることは、本当にきりがないのだ。
探すことにヘトヘトになった頃には、気がついたら何年も月日が経って、すっかり歳とってしまうかもしれない。
“探す”ということは、ずっと”ない”という不足を埋めようとし続ける自分でもあるということ。
“ない”ではなく”ある”に変えた視点からも見るようにする。
そうすると、実はすでに持っていることに気がついたり、
いつの間にか結果的に”ある”状態になっているのだ。不思議と。
不足感を抱えたままでは、人はいつまでも幸せにはなれない。
でも、その不足を埋められるのも自分しかいない。
幸せになれる人が少しでも増えますように。
そして、自分も自分を幸せにすることを忘れないように。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。