すべて”自分のせい”ではない

今さら気がついたことがあった…本当に今さら。

会社を辞めたきっかけとなった顔面神経麻痺の発症。
それは、”自分のせい”だと思っていた。

”自分がちゃんとカラダに気を使っていなかったから”
多かれ少なかれどこかでそう思っていた。

今さらだけど…
そうじゃない。

どんなに気を使っていようと、”起きることは起きる”
本当にこれにつきるんだと思います。
そこは自分でコントロールできるものではないということ。

起きたことの原因探しをするのではなく、
その起きたことを単純に”事実”として受け止めればいいということ。

ジャッジすらしない。
原因を探して”あれが悪かったのかな…、これがダメだったのかな…”と過去の自分を責めることはいくらでもできる。
でも、それをしても何も解決はしないし、未来は”今”から選択するもの。
過去をほじくっても何も出てこないよ。
ただ過去に”こんなことがあった”というだけ。

ずっとわからなかったのですよね。
”なぜ顔面神経麻痺を発症したのか”
他人から”原因は何だったの?”と聞かれるのですが、正直なところわかりません
”仕事が大変だったの?”とかも言われるのですが、決してそんなこともなく…
私は皆が残業していても気にせず定時で帰るような人だったので(笑)

そして、”過去の自分”に原因探しをしている以上、同じ状況に身を置くことや同じ選択をするのがとても怖くなる。
”また同じことが起きるのではないか”と思うから。
でも、”自分に原因がない”のであれば、同じことが起きるかどうかなんてやってみなきゃわからないよ。
過去とは全く違った結果になる可能性のほうが大きいと私は思う。

体調を崩したことも、子宮外妊娠をして子供を産めなかったことも、離婚したことも、どこかで”自分のせい”にしていた気がする。

”結果には原因がある”という因果関係、因果応報の考え方。
これはもう捨ててもいいのかもしれない。

原因ではなく”今”から選択する、考える。
過去は切り離す。

大事なのは、原因ではなくその起きたことから”何に気がつくか” ”何を得るか”なのだと思います。
その気づきを得るためにその”コト”が起きる。
単純にそういうことなのではないかなと思います。

その起きた”コト”で自分は何を感じ、どう思ったのか、何を知ったのか。
そこだけなんだと思います。
そう思うと”すべては自分のために起きること”として捉えていける。

そのほうが自分もおおらかに、穏やかに色々なことを受け止めていける気がします。