手を当てる”手当て”

この年末年始に、うちにいるもうすぐ10歳になるウサギが体調を崩しました。

10歳というと、人間の後期高齢者の年齢。
飼い始めたときにも、家に連れて帰ってきた翌日から体調を崩し、いきなり入院しました。

でも、それからというものの病気やケガもせず、健康体で毎日元気でいてくれるのが当たり前。
心配したこともありませんでした。

2年前の冬に一度だけ調子を崩したことがあります。
とても寒い日の夜に自宅に帰ってくると、
よほど寒かったのか丸くなったまま動かなくなり、元気がなくなっているときがありました。

その時は、本当にびっくりして。
でももう夜遅かったので、ひたすら膝の上でカラダをさすり暖めました。
そうしたら、徐々に気力が戻ってきているのがわかり、もう大丈夫そうだなとわかりました。

最終的には、本人の生命力にかけるしかない。
フト、私が気をしっかり持たないとこの子は回復しない気がする…
となぜか思い、この子はそんな”やわな子”ではない、絶対に元気になる。
と自分に言い聞かせました。

その結果、その翌朝は何事もなかったかのようにケロっとして、いつものような元気を取り戻していました。
不思議なものです。

そして、今回も寒さに気をつけていたものの、やはり年齢でより体力が落ちていたのでしょう。
ある日から御飯を食べなくなりました。大好きなリンゴやキャベツも。

病院でみてもらい、栄養を摂るための点滴と注射、自宅で胃腸を動かす薬をあげました。
でも、2日経ってもあまり思ったより改善されません。

だんだん不安も増してきましたが、2年前のことも思い出しました。

手を当てる”手当て”
そして、
気を強くもつこと

本来動物はみな自分で治していける力を持っているはず。
だって、野生の動物はみなそうしているのです。

その力を信じようと思い始めました。

心配ばかりして、元気にならなかったらどうしよう…と自分まで気を落とすのではなく、
大丈夫と自分がまずはしっかり気を持つこと。

そして、薬だけに頼るのではなく、毎日マッサージをし”手当て”をすることにしました。
手当てをしてあげることで、本人もなんだか安心しているように見えました。

そして、ペレットを食べないのであれば、ペレットは食べなくてもいいではないか?
という発想の転換をしました。

ペレットだって、人間が作り出した加工食品です。
それを食べなかったからといって、生きていけないはずがないと思ったのです。

野菜さえ食べてくれれば、なんとかなる。

だったら、色々あげてみて食べてくれるものをひとまずあげよう。
ルッコラ、キャベツは食べない、でもチンゲンサイだけはモリモリ食べました。
ほっとしました。

そこから、徐々にペレットもまた食べてくれるようになりました。
まだ以前ほどの量は食べませんが、そんなにたくさん食べなくても大丈夫ですし、
本人の食べたいものを、食べたいだけ食べてくれればいいと思います。

おかげで薬もまだ沢山残っていますが、もうあげなくても大丈夫というほど元気が戻ってきました。

知り合いの方で、動物にレイキをする方がいます。
レイキのことは私はよくわかりませんが、さすったり、マッサージするという”手当て”にはやはり何だか不思議な力があるような気がしました。

そして、大丈夫と信じ、心を強く持つこと。
気をしっかり持つこと。

“病は気から”とも言います。
気の持ちようで、いかようにでもなる。
今回、そんなことをとても実感しました。

目の前のことに右往左往しない。動じないこと。
心を穏やかに保つこと。

その大事さを経験できた気がします。

いつもいつもそう穏やかにはいられないけれど、少しでも頭の片隅にこのことを入れておけば、
いかなる状況や現実でも飲み込まれずにいられると思うのです。

そして、生きてくれてありがとう。
そう本当に思いました。毎日生きてくれているだけで十分。
これは本来きっと人間も同じ。
誰しも生きているだけで十分なのだと私は思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。