偽りの共感

多様性を認めよう、共感を大事にしよう
というような風潮が強くなってきていますよね。

でも、それを”ルール化する”ことは、本心からの共感でもなく、多様性を認めていることにもならない。
結局は、”カタ”にはめているだけ。
表向きは、一見とてもいい事を言っているように見えるけれど、本質をしっかり見る。

例えば”他人の悪口を言わない”、”他人の意見を否定しない”とか…
これってルール化することなのだろうか…と思ってしまうのです。

本心からそう思っているのであれば、ルール化せずとも自然とできるはず。

ルール化する=できない

ということも意味している。

なんか、少し、私は悲しいなと思います。
こんなことルールにしないといけないのかな…って。
義務にしないとできないのかな…って。

そして、こうやって義務化する、押しつけること自体が”多様性を認めていない”とも思う。
難しいですね。

多様性を認め、みんなが快適に生きるためには、
各々が合う環境・仲間とともにいることが一番幸せだと思うのです。
もう、合わないものに合わせることをやめる。

人は、本当に信頼できる人、本音を話せる人が2人もいれば充分と言われています。
数ではないのですよ。
数より質。

本音の話せる人はいますか?
そういった親友と呼べる人達を大事にしたいですね。