私が、ワタシが…と
自分を主張すること、主体的であることがよいとされ、どこかいつも競争しているような社会。
もう、そんなことにイヤ気がさし、もうそんな社会の中では生きたくないとすら私は思う。
佐藤初女さんの本を読み返したくなり、久々に開きました。
開いて号泣です。なぜいつも涙が出るのか、わかりません。
ただ、そこに本質があるのだと感じています。
その本質に触れられるから、自分の心が反応するのでしょう。
そこに出てくる”待つこと”、”母体性”という言葉。
我が我がという男性社会では、”待つこと”、”受け身”であることはダメとされてきました。
そのことが、私はとても苦しかったです。
もともと、発言するとか、人前で発表するとか、目立つことが苦手、そういうタイプです。
でも、そういうことが本当にダメなんでしょうか。
人の話を聴くことってとても大事だと思います。聴けない人も多い。
“ただ聴く”、”受け取る、受け入れる”ということに私はとても力があると思っています。
誰しも人に話を聞いてもらって、楽になったとか、スッキリしたという経験はあると思います。
あれって何なんでしょう。
意味のないことなんでしょうか。
それそのものによって、すぐに結果は出ないかもしれません。
でも、それによって気づきが出てくる。
その気づきがきっかけになり、本人が自分で答えを出すことができる。
悩みや課題って、本当はその人自身が自分で解決できる力を持っていると思うのです。
力づくで何とかしようとするのではなく、待つこと、委ねることで、自然と流れてゆき、見えてくるものもある。
ただ受け止める、包容力、器のようなものは、何よりも大きな存在のような気がします。
そういうのを母体性というのでしょう。誰もが求める母のような存在。
もし、”受け身”であることをダメだと思ってしまう人がいるなら、ダメだなんて思わないでほしい。
それも大事な力なのだ。