スピリチュアルで、よく”アセンション”とか”次元”とかという話が出てきます。
それを理論的に説明することがワタシはできないのですが、
よくアセンションするには…とか、次元移行するには…
というのがあるのですが、ワタシはそういう話に何だかモヤモヤしていました。
そのモヤモヤとは何だろうなぁと考えていたのですが…
それは、目指すものではなく、過程である
ということ。
アセンションしたい!もっと高い次元に行きたい!
それも悪いとは思わないし、それが何かきっかけになっていくと思うのです。それも過程の1つだから。
でも、その気持ちの裏にあるものって、
それが出来たら、なんかすごいことが起きる
何でもできて、イヤなことなんてない世界
というような、期待であったり、妄想であったり、そんなものが見え隠れしている気がするんです。
でも、それができたとき、
あなたは何をしたいのでしょう?
そのしたいこと、叶えたいことは、今できないことなんでしょうか?
自分が本当にやりたいことを、”○○が出来ていないから、今は出来ない”という”やらない理由”にしている可能性もあるかもしれません。
やりたいことをやるのがコワイから、そこから目を背ける理由にもなりうるのです。
人の思考ってとても巧妙なんです。
何をするにもプロセスみたいなものはあります。
そのプロセスとは、自分が自分に課したシナリオでもある。
だから、自分の人生を生きようとしていけば、自然と課題にもぶち当たるし、ぶちあたれば越えようとしていく。
何をするにも、
自分の魂の成長、自分を生きようとすることが大事
成長って言うと、何だか苦しくて大変で、イヤなことばかりで…
とイメージしてしまいがちですが、そうではなくて、自分がしたいことをしていけばいい。
決して修行ではないのです。
それをしていくうえで、必要なプロセスは体験するようになっています。
私もやりたいこと”やりたい”って自分に言えなかったし、思えなかったし、どこかで出来ないからと思っていたし。
でも、始めないといつまでも出来るようにならないんですよ。
子供が自転車乗りたい!と思って、転びながらでも一生懸命やるじゃないですか。
あれと一緒です。あれも自転車に乗らないと、いつまでたっても出来るようにはならない。
大人だから転んじゃうと恥ずかしい…って思うかもしれませんが、恥ずかしいってだけで、せっかくのやりたいことやらないの、何だかもったいないし、楽しくないと思うんです。
この人生が終わったら、もう地球に人として生まれることはないかもしれない。
出来なくてもいいから、やってみよう。
もし、一人じゃやっぱ恥ずかしい…とか、コワイと思うなら、私に声かけてください。
一緒に転びましょう(笑)