感情すらも、自分の選択

自分の感情って外から与えられている、
外の出来事からでてくるもので、自分ではどうにもできないもの

そう思っていませんか?

このことを私は、スッカリ忘れていた気がします(笑)
自分の感情に意識が向きすぎていたのかもしれません…
感情を選択する”前段階”があるのです。

外の世界で起きる事象に対して、どう自分が反応するかって

自分が選択している
他人にはコントロールできない

例えば、他人から言われたことに対して、
ネガティブに捉えて、勝手に落ち込んで、気分悪くなって…

っていうすべてのことを、自分で選択している。

ネガティブに捉えているのも自分、
落ち込むということを選択しているのも自分、
気分悪くいることを選択しているのも自分。

というと、じゃあ何でもかんでもポジティブに捉えて、
“頭の中お花畑”みたいになれということ?
と思ってしまいがちですが、そうではなく

フカンする
ジャッジしない

もちろん、相手の言うことは一度受け入れます。
ふーん、そうなんだねーと。

そして、それを俯瞰してみる。
いきなり良し悪しのジャッジをしない。

ジャッジをしないことで、いきなり感情に直結させずに、このワンクッションを置くことができる。
それがあるだけでも、自分が何を選択するかを少し意識できると思うのです。
ここで大事なのは、”こうあるべき”とかいう理由から自分の反応・感情を選択をしない。

というのが、1つの方法(笑)
もう1つは…

スルーする

えぇぇ?!って感じですかね?(笑)

あ、これは無視するという意味ではないです。
相手の意見は、一度ちゃんと受け取りましょう。

真面目な人ほど、他人の言うことに真摯に向き合おうとか、言うことを聞こう
って思いがちじゃないですか?
私もそうです。

でも、いいんですよ。
いい意味で適当に捉えて。
ほどほどでいい。
もっと軽く捉えていい。

そう思えてくると、外で起きたことに対して、
いちいち自分の心を揺さぶられなくなると思うのです。

自分の気分を後回しにしてまで、向き合おうとしなくてもいい
ということです。

自分最優先

本当に向き合わないといけないようなことの場合(人の生死に関わるとか)は別として。
大体のことって、結構小さなことだったりするんですよ。本当に。

そのときは、そこに意識が集中してしまって大きく捉えられないから、まるでオオゴトのように感じてしまう。

そして、なんだろうなぁ、日本人ってやっぱり”努力する”とか”頑張る”とかを美化する考え方を根強く持ってると思うんです。
だから、そうやって自分がイヤな気持ちになってまでも”頑張る”ことで、なんか”ちゃんとやった感”みたいな満足感を得るところありませんか?

私はまだまだあります。色々なことに対して。

あ、なんだか話がそれてきて長くなりそうなので、続きはまたの機会に。