自分を純化する

昨日、久々に友人に会いました。
いつ以来だろう?というくらい久々。

すごく親しいという方ではないのだけど、なぜか細くゆるく繋がっている方。
とてもフンワリしていて、一緒にいるとなぜか緩むことができる。

本当に感性の方なので、私が思いもしないような発想が出てきたりして、
話を聞いていると、まだまだ自分の固定概念とか、自分の考えクセみたいなものに気が付く。

でも、そのクセすらも逆の視点から見ると、自分の特性なのかもしれないと昨日は感じました。

クセは、なくそうとするものではなく活かすもの。
そのクセこそが、自分の特性・自分しかできないことかもしれないという気がしました。

そして、彼女が発した
「可能性はいくらでもある、何でもできるんだよ」
とサラっと言った言葉にハッとしました。

最近、とてもピンきたことがあって、それは
「あえて自分で重いものを取り入れている」
ということ。

まだどこかで、

「頑張らないといけない」
「努力しないといけない」

と思っている自分がいる。いた。

自分の心地よさだけを取り入れているのではダメだと思っている。

本当にそうなんだろうか?
やったことないのに、なんでそう思っているのだろう?

そして、自分の「こうしたい」の逆の行動をとっている。

「お金のために仕事をしたくない、無理をしたくない」

と言いながらも、

「生活のためにお金が必要だから、気の向かない仕事もしないといけない」
「なんだかモヤモヤするものも取り入れなければいけない」

目的がお金になっていたり、
「モヤモヤ」という自分の心地よさではない、違和感・重いものを選択している。

その選択をしている限り、自分のなりたい状況は作り出せない。
ということなのだな…とすごく単純なことに気がついた。

今までどうしても怖くて手放せなかったところ、大事に握りしめていたところでもあるのかもしれない。

であれば、もう今まで選択してこなかったことを選択してみよう。

実験。

今まで色々やってみたものの、どれも何だかしっくりこなかった。
であれば、もう自分の心地よさだけを取り入れてみる。

ある意味、最終手段(笑)

でも、もういいじゃない?
と言っている自分もいるのです。

もう全部手放してしまえ~という感じ。

そうするとめっちゃ軽くなれるし、清々しい。

もう何でもいい。
何でもOK。

「仕事をしなければいけない」
「仕事をしないと生きていけない」
という考えすら固定概念だ。

やりたいことだけやっていたら、本当に生きていけないのか?

こうやって、自分が違和感の感じるものを取り除いていく。
そうすると自分がどんどん本来の自分、素の自分へ純化されるのではないかと思うのです。

そうしたときに、初めて見えてくる自分がいるのではないだろうか。
不純物だらけで見えなかった自分。

そんな気がしてならない。

なので、また新たに実験してみようと思います。


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