イラっとしたらアリガトウ

久々のお天気が嬉しすぎて、散歩がてら買い物にいきました。

1駅往復+ウィンドウショッピングをすると大体15,000歩くらいは歩ける。
これくらい歩くと歩いた感があって気持ちいい。

ずっとネットで買い物をしていたので、外でゆっくり買い物をするなんて久々でした。
もう夏のセールでしたね、そういえば。
「セールだから、安いから買う」ということの必要性を感じないので、気に入ったものに出会ったら買おうかなくらいの気持ちでいました。

でも、こういうときに限って、大体好きなものが見つかる。
案の定、セール対象外の商品を買いました。

そのとき対応してくれた店員さんが、何かとても違和感がある、少し怖いなと感じる人。
後から気が付いたのですが、心と表情、特に目の表情が一致していない。

最近、こういう人に出会わないのですが、久々にお会いしました。
これは昔からなのですが、思っていることと言っていることが違う人、思っていることと表情が違う人がとても気持ち悪く感じる。
なので、社会での「本音と建前」というのがとにかく苦手です。私はできない。

面白いもので、この店員さんとお会計するときに、ちょっとしたトラブルがあったのです。
そういうもんだよね。と思いつつも、だんだんイラっとしてきたわけです。

しかも、この店員さんが「申し訳ありません」と言ってくれても、目が全然違うこと言ってますよ?
という状態なので、心ここにあらずの上辺の言葉だけ。
余計、イラっとしてしまう。

でも、ここでこのイライラを持ち帰りたくないと思ったのです。
意外と、私は嫌な気持ちをモヤモヤとしばらく引きずる傾向があるので、さっさと断ち切りたい。

そこで、やったこと。
「ありがとうございました」と一言その店員さんへお礼を言う。

お礼を言う必要性云々で言ったら、言われても言う立場ではないかもしれない。
でも、そういう問題ではなく「言葉の力を借りる」。

言霊というように、言葉の力って使い方次第で、ものすごい力を発揮する。

なぜ、「ありがとう」と言ったのか。
自分が心地よい状態に戻るため。リセットを自分で自分にかけた感じです。言葉の力を借りて。

先に「心地よい状態の自分になれる言葉」を発することで、後から感情がついてくる。
これ本当に不思議なのですが、何回も実験して実証済です。

理論的に考えても、おそらく正しい。
人の脳って意外と適当なので、「そう錯覚させる」ことさえできれば、思考をコントロールできる。

自分が相手に「ありがとう」と言った言葉を、自分が聞いて「あ、感謝してるんだ」って錯覚してるのではないかと思うんですよね。
もしくは、自分が「ありがとう」って言われたと感じるのか。

自分が他人に発する言葉は、他人に言っているのと同じように自分も聞いている。
要は、自分に言っているのと同じ。
だから、自分が発する言葉が自分に大きく影響する。

それを上手に使っていくと、イヤなこともスッと消化できたり、自分もイヤな気持ちにならなくなる。
すべては、自分のため。自分が心地よくいるためにやる。

でも、この「ありがとう」と言われた店員さん。
この店員さんも、予想外のお礼の言葉に何か気づきがあるといいなとも思ったりします。

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