来月早々に、出雲大社へ参拝に行きます。
初めて行ったのは、もう10年近く前だと思います。
その時は、ちょうど出雲大社が”平成の大遷宮”をしていて、工事用の布に覆われていたためか、実はあまり印象に残っていません。
なので、改めてご挨拶に行けるという喜びがあり、嬉しいです。
コロナの中、行くのはどうだろうか?
という後ろめたさも感じながらも、いつでも行けるものでもない。
”行くタイミング”というのがあります。
行きたいなぁとフンワリ思っていても、それを実際に行動に移す、現実を動かすというのは、パワーを要します。
気持ちがあっても、時間や費用の都合がつかなければ、行くこともできない。
そう考えると、色々な事情がすべて〇となったときにしか、行くことはできない。
それっていつでも出来るというもののように見えるけど、実は与えられたタイミングにしか叶わない。
どんなに行きたいと思っていても、都合が合わないこともあると思うのです。
そういうものは、行く”必要のないもの”と私は受け取ります。
そして、神社仏閣に行くタイミングは、”呼ばれているとき”です。
これは本当に常々思うのですが、自分の感覚として、”何かよくわからないけど、行きたい”と強い感覚を受け取るとき。
今回も、”今行くしかない”と強く感じたので、コロナ中ではあるけれど、出来るだけ人込みを避け、寄り道はせずにと思っています。
とても小さなことかもしれないけれど、自分の感覚を無視せず、心の声を優先したい。
今回は、ここまでを一区切りとして、これからのスタートのためのご挨拶+エネルギーシフトをしてこようかと思います。